「祈りの作法」 玄侑 宗久 著
原発の災禍と向き合う
著者は福島県三春町に住む
芥川賞作家で住職。
東日本大震災後の社会状況について
真摯な発言を続けている。
本著は福島第一原発事故の災禍と
どう向き合い、今後、どう生きるべきか、
その指針を示している。
過酷な現実を前に、心を強く保つ
すべを教えてくれる一冊だ。
本著は講演を基にした書下ろしの
「祈りの作法」と
雑誌に連載した「放射能と暮らす」、
「震災日記」の3章で構成する。
「祈りの作法」の中で、
震災後に人々の間に利他の心が
目ざめたと指摘。
原発事故と対峙せざるを得ない中、
親愛の情や祈り、雄々しさなど
目に見えない価値を再認識し、
日々を紡いでいくことの
大切さを説く。
人は祈りを持つことで
積極果敢になれるとして、心の持つ力の
大きさを強調している。
「放射能と暮らす」では、原発事故後の
国や東京電力の対応に不信感を抱き、
「ぐちゃぐちゃ」な状態と位置付ける。
その上で「無力を感じ、祈り、そして動く。
また無力を感じ、それを書き留め、祈っては
また動き出す。そうするしかないのだと思う」
と書く。
低線量の放射線と
今後どう付き合っていくのかは、
哲学的な問いでもあるという。
「フクシマ」で暮らし、
心までは汚染されないと言い切る
著者の強い気構えが全編に感じられる。
と、、、、、、、。
(平成24年9月24日付け、河北新報
「東北の本棚」より抜粋)
福島の原発による、放射能問題は
福島のおいしい果物、風評被害、
現実の放射能の数値のなど、、
死活問題が生じている。
今日、仙台の我が家の
近所の方から
ハウスの中で自家栽培した
甘~いぶどうを頂戴した。
安心 安全な生活。
福島の被災地には、いつ来るのだろうか。
私の実家の飯館村の親族、知人、
友人を想う祈りの中に、
いつも重い鉛のようなものを感じ
せつなくなる。
そして、今後いかに生きるかを考え
自分自身の こころのありようを反芻し
「親愛の情や祈り、雄々しさなど
目に見えない価値を再認識し、日々を
紡いで」いこう。
そして、仲間に支えていただける幸せを、
親族、知人、友人たちと分かち合い
祈りつつ、みんなで明るく笑って
生活できる日を夢見て生きてゆこう
感謝
ふわふわ
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