中秋の名月は15日夜だけでは片身月に
なってしまうので昔はこれを忌み嫌い必ず、
15夜と13夜の月を愛でました。
古代インドの思想では、人間界は7つの山と
7つの海でできており、その中心となる最高峰の
山である須弥山には帝釈天が住んでいるとされました。
帝釈天は人間世界を見渡して、人が善行に励み悪行に
走らないように見守っています。
手には、帝綱を持っており、その結び目は水晶の玉の
宝の珠で出来ています。珠は世界に住む一人ひとりの
心で、ひとつの心がとなりの結び目の心に話しかけると
水晶の珠は光り輝き、それがさらにとなりの
結び目の心に伝わります。
こうして、次から次へとまるで鈴の音が鳴り響くように
伝わるのです。
宇宙のすべての生命は網の目のように繋がり、
水晶の輝きで照らし合うことでなりたっている
ということです。
15夜と13夜の夜になると、帝釈天は宝鏡を持って
人間界を訪れます。そして、帝網の目から闇の底に
落ちて光を失った珠を受け止めます。
すると珠は再び光を放ち響き合うようなるのです。
この帝釈天の宝鏡の形代がお月見なのです。
お月見にはこんないわれもあることを思いつつ、
お月見の光をたっぷりと受け止めましょう。
「気の12ヶ月」 秋篠野安生著より
夕方の大雨の後の、満月はまたとない美しい
光を放ってました。
夜遅くに、すすきをたて、月見饅頭と
さつまいも・栗・柿・みかんなどを備えながら、
笑いヨガ仲間の優しさに、ワインで乾杯を
いたしましたぁ~~
うれしいな よかったなぁ~~
ふわふわ
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